幸運を受け取らなかった24年前とつかんだ12年前(ちょっと長いです)
世界を旅する驚食(きょうしょく)ハンター
熱量タカコです。
ブログがとぎれとぎれでごめんなさい
ちょっと今日はタカコの告白です。
引き寄せが続いてる~と
いうことは
ちゃんと流れに乗っているんだなあ
と思っています
もちろんつらい時期とか
何をやってもうまくいかない時期って
あると思うのですが
いろんな占いでラッキーな年なら
ラッキーだろう。。。。
でも、本人がラッキーな年周りって
受け入れていなかったら
ラッキーではないのです
24年前はどうだったかというと
まあ、12年周期の占いで言うと
幸運と言われている今年と同じ年周り
もちろん結婚することになった年なので
もちろん幸せなはずです
でも自分の中ではあまりいい記憶がありません。
その年は阪神淡路大震災があり、
サリン事件があり
世の中が本当に終わるのではないかという
恐怖に包まれました
しかも震災があったのは
やっと就職して1週間後
職場の中心になるおばさんが
いい人なんだけれど自分の思うように
みんなを動かさせなければ気が済まない人で
15人くらいで8億稼ぐ会社だったので
給料は良かったのですが
ヒ素やカドミニウムなど有害物質を使うので
長い間勤めたらカラダはむしばまれるだろうなあと
実感がありました
結婚してから職場がますます遠くなり
残業したら駅までの会社の送迎バスがなく
自力で歩かないといけないのですが
大阪の中でもかなり危険な地域
しかも駅までの堤防の道は
野良犬がうじゃうじゃいる
無法地帯という言葉がぴったり
駅で知らない人に
「お金 くれ」
と言われたのも初めてです
結婚式も事情で
急に式場が変更になったり
社宅もギリギリ決まりましたが
見に行って
「私、ここに住みたくない!」
というところでした。
大阪万博のころにできた団地
5階なのにエレベーターはなく
トイレは飛行機のトイレより狭い空間
ドアに頭がつきそう
お風呂はシャワーどころか
水しか出なくてお湯を沸かさなければならない
掃除した形跡がなく、タイルは灰色
前の人が10年くらい住んでいたようですが
全然掃除していなくて
たばこのやにと埃がこびりついて
家の中が全体的に汚れている
今まで実家は
郊外の一軒家だったので
比較的余裕はあったし
母はいつも家をきれいにしていたのと
父が新しいもの好きだったので
家電などは最新のものがあり
あまり不自由のない
生活をしていた私には
もう
地獄のような家でした
千里ニュータウンというところだったのですが
敷地は広くて1つ1つの団地が独立しているんですね
工業団地にいる感じ
だから社宅の敷地は本当に広くて
でも
社宅の人しかいない空間
孤立した感じ
お店もそれぞれの敷地内にはなく
お店ゾーンにいかないとない。
普通の街とはちょっと違います
仕事を終えても
慣れない家事
料理全然できないし、洗濯掃除も得意ではなく
オットが夜勤の時は
この孤独な団地の汚く狭い部屋で
ひとりで食事をするのが耐えられなくて
梅田の街を徘徊し、ひとりでご飯を食べていました。
他にもトラブルがたくさんあったので
「なんじゃい!今年は素晴らしい年っていってたやんか」
流れ的には結婚して最高の年だったかもしれないけれど
全然楽しくもなく
慣れないことばっかりで
しかも会社が苦痛で
出社拒否しました
そして辞めました
自分の中では結婚したのに
全然楽しくない1年でした
でも
今の私だったら
当時の私にたくさんアドバイスできることも
あえてアドバイスしないことも
わかります。
頑張っていたんだなあ
意地を張っていたんだなあ、自分に。
13~12年前の私はどうだったかというと
筋肉の動かなくなる難病になって
医者に治らないといわれたことから
東洋医学で治すと決め
中医学の先生に
歩きなさい、お日様と地のパワーをもらいなさい
と言われて
回復するために
毎日とにかく歩くことだけを
目標にしていました
少しずつ回復したので
絵を習ったりもしましたが
何か自分に取り柄がないか
子供の時に好きだったことをして
何とか今を脱出したい
絵の教室に通うのも
しんどいときはできませんでした
カラダがまだ弱っているので
なんだかんだで言い訳していかないのです
絵の教室といっても
時間に好きに描きに行くだけなので
誰にも迷惑はかけないのです
だから誰とも話すこともない
友達は大学時代の友人数人と
東洋医学の勉強会の人たちと
前に働いていた同僚くらい
あとはオットと娘だけ
ママ友はいない
今考えるだけでも
本当に切ない自分です
もう今日を生きるのが必死で
もうこの世の中で消えていくかもしれない自分が
どうやって生きていけばいいのか
どうやって自分が何者かになれるか
そんな底辺の心境でした
今考えれば
難病だからといって人生をあきらめずに
子供にみっともない情けないお母さんの姿を
見せたくない、と必死に生きている自分を
もっと認めてあげられたら
どんなに良かったのか
そこで絵を習ってコンクールで入賞したり
しなくったって
十分なんだって
声をかけてくれる人
声をかけてあげられる自分がいれば
どんなに心が休まったのかなあ
その頃
自己啓発の本や
「あなたはそのままでいい」
とか
本田健さんの
しあわせなお金持ちの本や教材も
買っていました
望月俊孝さんの幸せ地図なんかも
作ってみました
何も変わらなかったですね
本はその時は
ああ、そうかと思うのですが
自分の固く閉ざした心の中には
知識としか入ってきませんでした
だんだん歩けるようになったり
調子が良いときは
いろいろチャレンジできるように
なっていたのですが
ココロもカラダも健康でないから
本当はいろんなチャンスやいいことも
たくさんあったのに
手ですくった水のように
どんどんすきまから流れ出ていっていたのです
この頃は食事には気を遣うようにしていましたが
食べると寝込む
消化するのが私のカラダには大きな負担でした
食べたいのに消化はすごいエネルギーが必要なのです
お腹がすいても食べたら頭痛がするから
食べるのが怖い
でも大好きなお菓子は
寝込んでも食べたい
苦しみをかくごで食べるのは
本当につらかったです
カラダは今の食生活だけで作られているわけではありません
私が難病になったのは
長年のストレスやココロの状態、
そして長年の食生活や習慣です。
その時は生きるのが必死だったから
とにかくできることだけをしました
でも食が大切 運動が大切
習慣が大切 というのは
何となく実感していっているところでした
でもまだその頃はわからないのです
夜明けが近いことに気づいていませんでした
でも
その日は突然やってきました
私の運命が変わった日です
長い長いトンネルを抜けた日です
それは
この風景を見た時です
ここはずっと毎日歩いていた堤防
川と川との合流点
毎日5分から
時には5分歩くことで1週間寝込んでいた私が
少しずつ 少しずつ距離を伸ばして
こんなに遠くまで歩くことができた
「ああ、もう私は大丈夫」
自分の声が聞こえました
根拠のない声です。
根拠のない自信が
自分の中に初めてできたのです
いい大学に行ったとか
いい会社に入ったとか
資格を持っているとか
結婚したとか
子供がいるとか
大きな家に住んでいるとか
そんなことは他人からどう見えるかです
どう自分をみせるかです
「私はもう大丈夫」
根拠がない自信は
肩書もなにもいりません
誰に認めてもらう必要もないのです
その通りになりました
私は1週間後
自分のカラダに無理なく
(9時から3時のパート)
障害者福祉施設での
管理栄養士のお仕事をみつけました
もう自分のカラダに負担をかけずに
でも動きたい方なので退屈なのは嫌
そこそこやりがいがあって
責任は押し付けられなくて
そこそこの収入が欲しい
自分のペースで仕事がしたい
それが実現できる職場でした
もちろん
私がいきなり変わったわけではないので
はじめは人間関係なども大変でした
でももう黙って受け入れる私はいませんでした
おかしいことにはおかしいと伝え
伝えるだけでなく、動いてきました
もうしくじり人生は卒業したかったのです
もしかしたら
24年前の自分も
チャンスはいっぱいあったのです
だってまだ20代だったんですから
でも「~べき」や変なプライド
誰にも相談しない
そんな自分が幸運の扉を
閉ざしてしまっていたのかもしれません
どちらにしても
もう過ぎたことは変えることができませんが
その暗黒の時代があるから
今の私があります
24年前 当時得意だった
英語をそのまま活かして
管理栄養士の資格を生かさない道もあったのですが
そうなっていたら別の自分になっていたと思います
それがしあわせだったかどうかは
私にはわかりません
でもブログやメルマガを書いたり
Facebookで私の投稿を見てくれた
知らない方が「熱量タカコさん」
と声をかけてくれたり
24年後の今は
今まで生きてきた中で一番充実しています。
去年の今頃も
自分が今まで生きていた中で一番充実していたと
思っていました
この12年間 毎年
「今が一番充実している」
と思っています
でも去年を振り返ると
よく考えたら、仕事をやめて
だらだらしている自分に自己嫌悪を
持っていたりしているんですよね。
ずっといいことばかりではなくても
それでもいい年だったと思える自分なのです。
イタリアに行ったりモンゴルに行ったり
たくさんの仲間が増えたり
なによりも素敵な家族が
ますます素敵になっているのを
実感しています
自分が変われば環境も人間関係も変わります
自己啓発の本に書いてあったのは本当です
でも本を読み漁っても
自分の心に知識としか入ってこなかったのは
何度も読みあさっているのだから
変えたい自分があるのに
無理 と思っている自分がいる
それは本当に
カラダが健康でないから
ココロが健康でないから
カラダが健康でない、というのは
ずっと疲れが取れない
いつも起きたらだるい
そんな未病と言われる症状も
健康ではないサインです
そして
今特に思うのは
お金がないとダメだ
私が病気の時
事情があり
お金が手元に入ってきました
そのおかげで
病院から治療法がないといわれて
しかも病院のミスで
難病の医療費受給証の申請に
間に合わなかったのを機に
病院にこれ以上不信感をつのらせて
またしくじり人生を続けるのを
辞めることにしました
難病の治療は保険外の
治療を受け
しかも
絵の教室にいったりセミナーに行けたのは
そのお金があったからです
そのお金は3年間の療養生活で
ほぼ使い果たしてしまいました
療養生活中も
収入は共稼ぎの時のまま
オットの小遣いを減らさないでいたし
来月になったらもう貯金がない
というところまで来た時に
その日はやってきました。
就職が決まったんですよね!(本当です)
このままお金が底をつきる
そう思っていたら
もう前向きな気分になれなかったと思います
今年会社を設立しましたが
(よく考えたら12年前 私を変えた運命の日も2月でした)
私の会社の理念は
「ココロもカラダも健康な人を増やすこと」
「こだわりの生産者と喜んで対価を払える消費者を増やし結びつけること」
そして
「女性が時間やお金、家事や仕事 社会的役割にとらわれずに
自分の望む人生を歩むお手伝いをすること」
です。
24年前に
切ない自分を助けてくれる人がいればよかった、
救いの声を上げることができればよかったのに
もっと自分を認めてあげればよかった
12年前に
臨時の収入があったので病気療養に専念することができた
本当にココロとカラダが健康でないと
泥沼から抜け出す力も勇気も出ない
泥沼にいると感じる力もない
そしてお金がなかったら
多分医療費の助成を受けることができずに
助けてくれない病院に
すがることしかできなかった
本当にココロとカラダの健康と
もう一つ
お金は大切だと思った。
でも今までは
あまりお金のことをいうのは
何だか気が引けていえなかった
「女性が時間やお金、家事や仕事 社会的役割にとらわれずに
自分の望む人生を歩むお手伝いをすること」
自分と同じような思いをしている人の
まずココロやカラダが健康になってから
経済的にも安定して
(本当は並行できるといいんですが
そうもいかないので)
より自分の望む人生を歩めるように
していくお手伝いをしていきたいと思います。
まだまだ私も乗り越えないといけない壁が
たくさんありますが
それでももし
何か感じたかたは
人生は変えられる!
難病を克服して
しくじり人生を卒業して
今年会社を設立した
私のメルマガに登録してくださったら
うれしいです