食萌え管理栄養士 熱量タカコが しくじり人生~会社設立を目指すまで その4
超ブラック企業→難病へ
出産して子供はかわいかったけれど
育児ストレスや
社宅での閉塞感
仕事をせずに
社会に取り残されてしまう不安から
子供が2歳の時に
正社員で就職しました。
新規営業所で
管理栄養士として営業所で
献立だけ作ってもらえばいい。
小さな子供がいて就職が決まったので
即OKしました。
求人誌に書いてあった値段よりも
給料が少ない提示でした。
その時点でやめておけばよかったのに。
子供が小さいのに雇ってもらえる
そんな自分への過小評価が
悲劇の始まりでした。
新規営業所に上司は常駐せず
デイサービスと老健の新規立ち上げで
入って間もない私が
施設長などに
営業所付の管理栄養士という紹介をされ
「ベテランの管理栄養士です。
何でも聞いてください」
と紹介される。
新規施設の献立を作成しながら
新規に入ってくるパートさんや栄養士に
指導する立場
新規営業所には
献立を作成するソフトもありません
入社1か月目に
アル中の調理師が施設で
包丁を持って暴れているという
電話がかかっても
所長も営業も電話に出ないので
私が止めに行く
施設の栄養士のいじめで
うちの栄養士が精神的に追い詰められたリ
難聴になりやめていきました
また
調理師が足りないので
調理師だというだけで優遇されて
人任せで何もできない調理師が
幅をきかせていました
調理師が競馬で早退して
その後始末をさせられる
アルバイト栄養士
真面目に仕事をして
仕事をやらない人の分までさせられて
体調を壊して辞めていく人
事情があって仕事が辞めれない人
その人たちから
「助けて」コールが
私のところにやってくる
辞めるまでの2年で
10年分以上の苦労が
私にのしかかりました
新規事業所で
何もない状態だったので
献立は一人で作り
家で試作をしてから提供
調理初心者のパートさんが多かったので
わかりやすいように
調理指示書も
盛り付け図も書き
発注も行いました。
休日にも
親戚の葬式の日にも
電話がかかってきました
仕事ができないバカ営業の不始末を
なぜか私が謝りに
施設に行かされたこともあります
施設長に
「管理栄養士さんに謝られてもね」
と冷笑されました。
(普通営業所長が行くものですが(;^_^A)
仕事を辞めると決心したのは
娘の夜泣きでした
残業が多く
保育園お迎え閉園ギリギリ
そのあと試作兼晩御飯
休日も会社に連れていき
事務所で遊ばせることもしばしば
おなかすいた~
もっと遊んで
そんな不満を口に出さず
いつも静かにおとなしく
待っていてくれた娘に
甘えていたのです
自分が一番守らないといけないものを
一番傷つけてた
傷つけていたのは
娘だけではありませんでした
からだがずっとだるい
よくぎっくり腰を起こす
どうも息切れがする
力が入らない
会社を辞める前から
病院をあちこち回っても
原因はわかりませんでした。
目がおかしい。。。
眼科に行って初めて
大学病院を紹介され
重症筋無力症という
指定難病だということがわかりました。
自己免疫疾患で
筋肉が動かなくなる病気です
続きます
食や習慣をかえて難病を克服し、自由で幸せな人生を送り
会社設立までしちゃいました
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